8月14日(金)
70年前の8月14日、天皇陛下の御聖断により日本はポツダム宣言を受諾し、未曾有の大戦は終わりを告げました。以来、先人たちは、この戦争が多くの日本人の尊い命を奪い、アジアを始めとする諸国に甚大な被害を与えたことに正面から向き合うことで、平和国家としての礎を築き、一歩一歩、再生の道を歩んできました。
あれから70年。戦争の記憶が薄れるなかで、今、安倍政権によって日本の平和主義は大きな転機を迎えようとしています。本日、安倍総理が発表した戦後70年談話は、キーワードを散りばめた「作文」の域を出ておらず、総理自身の心底からなるお詫び、平和への願いと誓いが伝わって来ません。
歴史的事実を客観的に語るのは非常に難しいことです。事実の記録自体が、記録者の心を通じて表現されるものであるし、今この時代を生きている私たちも現在の視点を通して、歴史的事実を見るからです。イギリスの歴史学者E.H.カーが、歴史を「現在と過去の対話」であると評し、自らの主観を問い直すことの重要性を説いた所以です。
政治家は歴史学者ではありませんが、政治権力を握るときに、歴史観が鋭く問われるのは当然でしょう。客観的な歴史認識というものが存在しない以上、権力者の歴史観は常にその人の主観であり、国民はその影響を受けることになるからです。
この20年、日本の歴代内閣は、政府として歴史認識を閣議決定し、継承することで、歴史問題に対処してきました。それが1995年の村山内閣総理大臣談話です。先の大戦という惨劇について率直な認識を示すものであっただけに、批判にも晒されましたが、歴代内閣はこの認識を堅持してきました。
私はこれを、ときの権力者の主観を排し、日本の平和主義を守るための一つの知恵であったと評価しています。安倍総理は、村山談話の立場を引き継ぐと言ってはいますが、どうも本心は別のところにあるように思えてなりません。
安倍談話の発表を受けて、自民党は、東京裁判とGHQの占領政策を検証する党内機関を立ち上げると報じられています。世界の趨勢を見失い、無謀な戦争を拡大した歴史を書き変えるつもりなのでしょうか。既に、各方面から懸念と批判の声が上がっています。日本は、米国の領土を組織的に攻撃したことのある唯一の国家であり、米国もそうした「歴史修正主義」には敏感に反応するでしょう。
先人たちが、いろんな思いをぐっとのみ込んで、70年かけて積み上げてきた平和の資産と信頼。政治家として、その思いに心を寄せ、慎み深く行動していかねばならないと改めて思います。安倍政権が歴史に対してどう向き合っていくか、今後も注視したいと思います。