7月12日(火)
安倍総理は参院選後のNHKの番組で「いよいよ憲法審査会に議論の場が移る。議論し、どの条文をどのように変えるか集約されていく」と述べ、憲法改正に必要な手続きを進めていく考えを表明しました。谷垣幹事長は「野党第1党と基本的に折れ合うようなものをまずやるべきだ」と融和的な考えを示しましたが、安倍政権の一貫した政治手法は数の力で押し切ることですから、野党の意見に聞く耳を持つはずがありません。安保法制を始めとして、私たちは国会で嫌というほど経験してきました。絶対多数を握る安倍政権が、立憲主義を無視したまま再び暴走しようとしています。
政治権力は、たとえ民主的に選ばれたとしても、常に個人の尊厳を侵害する恐れがある。だから憲法は基本的人権を保障し、権力分立を定めている。憲法が規制する対象は国民ではなく、ときの政治権力なのです。この点が立憲主義の本質なのですが、自民党の憲法改正草案は「国民の責務」として、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。」と求め(第12条)、規制対象を政治権力から国民にすり替えています。この草案を叩き台にして条文ごとの検討? 改憲勢力が衆参両院で3分の2を獲得した今、私はブラックユーモアを通り越して、恐怖すら感じます。
憲法改正のためには、最終的には国民投票に付さなくてなりません。しかし、国論を二分する国民投票がどのような結果をもたらすか、私たちはイギリスの混乱から学ぶべきでしょう。議会制民主主義の先進国であるイギリスにおいて、EU離脱派は組織的な流言飛語によって国民を惑わしました。国民投票が終わると、離脱を主導してきた有力政治家は次々と前言を撤回しました。今や離脱票を投じた国民の多数が悔いているというのに、結果は覆ることはありません。国民投票は、イギリスに大きな傷痕だけを残したのです。
先の参院選において、安倍総理は全国の街頭演説で憲法の「ケ」の字にも触れず、争点隠しを徹底しました。戦後初めて衆参ともに憲法発議が可能な院の構成になってしまったのは残念な事実ですが、国民は憲法改正について政権与党に何も委任していないのです。今こそ私たち野党がしっかりしなければならない。責任を痛感しています。