拉致現場へ。

9月7日(水)~8日(木)

衆議院北朝鮮による拉致問題特別委員会の理事として、委員会視察に出掛けました。当初、台風の影響が心配でしたが、宮崎県、鹿児島県、二日間の訪問日程を無事に遂行することができました。

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宮崎県では「辛光洙事件」が起こったとされる拉致現場を視察しました。また、県庁で河野知事はじめ県議会拉致議連会長の丸山県議、宮崎県警の幹部とお会いし、意見交換、事件に関する聴取を行いました。

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辛光洙事件は、昭和55年6月、大阪府在住の原敕晁(ただあき)さん当時43歳が、宮崎県の青島海岸に連れ出され、工作船で北朝鮮に拉致された事件です。青島海岸は、遠浅の穏やかな海で、当時は新婚旅行のメッカとして賑わうリゾート地でした。こんな所で恐ろしい国家犯罪が行われていたとは!あらためて衝撃を受けました。

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辛光洙の証言によれば、原さんに酒を飲ませて海岸に連れ出し、工作船に乗せて4日後に北朝鮮に着いたとのこと。その後、辛光洙は、原さんに成りすましてスパイ活動を続け、昭和60年に韓国当局で拘束されましたが、金大中政権時に北朝鮮に送還され、今なお「英雄」として北朝鮮で生存しているとされます。北朝鮮側は、原さんは昭和61年に肝硬変で死亡、遺骨は豪雨により流出したと通告していますが、それを裏付ける証拠は提供されておらず信憑性はありません。

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鹿児島県では、昭和53年8月、市川修一さん(当時23歳)と増元るみ子さん(当時24歳)が吹上浜(ふきあげはま)に夕日を見に行くと言って外出したまま、消息を絶ちました。

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38年もの長きにわたって、捜索をつづけ、北朝鮮に拉致されたと認定されてからは救出活動の最前線に立って奮闘し続けてきた市川さんのお兄様は、今回、拉致現場とされる海岸を案内して下さいましたが、「何度来ても悲しく居たたまれない気持ちになります」と痛々しく話されました。市川さんが履いていたサンダルの片方が残されていた草むら、車が残されていた場所、拉致されたと推測される海岸を歩いてみました。

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「松林も砂浜も、38年前とはすっかり変わってしまいました」との言葉に、歳月の重みを感じました。こんなに平和な海辺で突然襲撃され、連行され、そのまま38年間日本に帰れない、捕らわれたままとは、どんなに恐怖で絶望したことでしょう。他にも、鹿児島では、多くの北朝鮮による拉致が疑われる案件があり、ご家族は祈るような思いで帰国を待ち続けておられます。

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拉致問題を風化させることなく、国民みんなで声を上げ続け、国際社会と連携して北朝鮮の蛮行を糾弾し、その罪を償わせなければなりません。安倍政権の最重要課題と言いながら、いっこうに進展しない厳しい現実に焦りと怒りを感じますが、相手は核実験やミサイル発射を繰り返す暴君であり、粘り強く交渉していくしかありません。「対話」だけでなく、毅然として、更なる「圧力」をかけていく必要があります。私たち国会においても、拉致問題の一刻も早い解決を、政府に強く求めていきたいと思います。

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