5月11日(月)
昨年発足した超党派の議員連盟「水俣病被害者と歩む国会議員連絡会」は、本日、新潟県阿賀町を訪問し、旧昭和電工など水俣病発生の地を視察しました。
なんと国会議員が直接現地を視察するのは初めてのことだそうです。
今から50年前の昭和40年、熊本に続き、「第二の水俣病」である新潟水俣病の発生が公式発表されました。
当時、日本は高度成長の真っ只中。国の石油化計画のもと全国各地でどんどん工場が作られました。しかし、国家繁栄の裏側で、健康問題は置き去りにされたのです。
熊本水俣病が公表されたときに、いち早く国が対策を立て、全国の工場で水銀などを垂れ流しさせない規制をきちんとしていれば、「第二の水俣病」は起きなかったはず。この風光明媚な風景に不似合いな、恐ろしい公害が起こっていたなんて、本当に心が痛みます。
視察後、県庁を訪問し泉田知事と面談しました。
わたしは、水俣病患者の救済のため、国に対してきちんと言うべきことを言い、被害者の立場に立って行動している知事を評価しています。差別や偏見を恐れ、いまだに声をあげられない潜在患者も多くいます。
原発問題にも見られるように、経済優先で人々の命や健康が奪われる政治をいつまで続けるのでしょうか。
水俣病問題解決のため、議員連盟は力を合わせ頑張って参ります。