7月17日(金)
戦争と女性
地元を回ってお話を伺うと、多くの方が安保法制について心配されていることに驚かされます。特に、女性の反応は非常に厳しい。命を宿し育くむ女性の本能かもしれません。衆議院の特別委員会において、政府与党が安保関連法案を強行採決した時、私は前面に立って反対の声を上げました。本当に、居てもたってもいられない気持ちでした。
私は、日本を取り巻く安全保障環境が大きく変化しているということは、よく理解しています。この変化に対応するために、日本として何をなすべきか。これは党派を超えて徹底的に議論すべき課題でしょう。自衛隊のあり方も、それに従って変わっていくのは当然のことだとも思います。しかし、実力組織である自衛隊のあり方を変えるときに、憲法解釈を変更することは許されないというのが、私の問題意識なのです。
私なりに理解しているところによれば、近代立憲主義における最高価値は、個人の尊厳を守ることです。そのために憲法は、基本的人権を保障し、権力を分立している。民主主義が生み出す政治権力は、ときに少数者の権利を抑圧し、個人の尊厳を侵害する恐れがあるから、司法の独立を厳格に守ることを含めて、憲法は権力を縛るための仕組みを定めている。憲法第9条の平和主義も、こういう文脈で理解されねばなりません。
安倍総理は国会において、自民党は安保法制を公約に掲げて選挙に勝利したと繰り返し答弁し、今般の憲法解釈変更は選挙を経た政治家の責任とまで述べています。非常に危うい議論です。政治権力を縛る法規範であるはずの憲法の、しかも平和主義のように根幹に関わる部分の解釈を、縛られる対象である政治権力が一方的に変更するなどということは、あってはならないことなのです。
そもそも、昨年12月の総選挙で自民党は「アベノミクス、この道しかない!」と連呼していたはずで、自民党の候補者が安保法制について訴え、説明した記憶などありません。だから、自民党に投票した人からも、疑問の声が上がるのは当然でしょう。
徴兵制をめぐる議論も喧しくなってきました。この現代日本において、徴兵制が成立する余地など無いと私も思います。しかし、多くの女性達、子をもつ母親が反応しているのは、政治権力が憲法規範を一方的に変更することの危うさを、敏感に感じ取っているからではないでしょうか。
現行憲法で、徴兵制は認めてなくとも、根幹の9条でさえいとも簡単に解釈変更してしまうのですから、いつか徴兵制についても、やってしまえ!となるのではないか?そういうキナ臭さ、不気味さを、女性たちは敏感に感じているのです。もっとも、権力に奢る安倍政権にはこうした女性たちの不安な気持ちは理解できないでしょう。
感じ悪いよね、自民党。全く石破大臣の言うとおりです。