7月26日(土)
船中生活は、朝5時の朝食から始まります。ごはんと味噌汁に、納豆、生たまご、ししゃも、塩辛がおかずです。
今日は、国後島から択捉島に渡ります。同じように、「はしけ」から内岡湾に上陸。国後島はあんなに暑かったのに、一転して、択捉島は肌寒く慌ててウインドブレーカーを身にまといました。
午前中は、地元住民との交流会が開かれました。少林寺拳法の演武を披露したり、日本の茶道、書道、折り紙やお手玉を紹介し、拍手喝采、大変好評でした。和やかな雰囲気のなか活発な意見交換も行われました。
午後は、グループに分かれて家庭訪問。私たちが訪れた家庭は、元の議会議長さんのお宅でした。女性議長として活躍され、お嬢さんは裁判官を務めておられるそうです。自然な流れで、政治談議に熱が入りましたが、非常に率直に、自分の言葉で話されるのが印象的でした。
メインのピロシキ、ボルシチのほか、いくら(生)、たらこ(生)をクレープで巻いて食べるよう勧められました。オーブンで焼いたでっかい豚肉、肉汁を使ったテリーヌ、デザートのケーキまですべてが手作りされていました。ウオッカのほかに日本のサッポロビールまで並んでいました。
食事の後は、市内を散策、商店で買い物することになりました。商店と言っても、小さな雑貨屋のような店が数軒あるだけで、決して愛想が良いとは言えない店員さんがいました。日本円の使用は不可、ルーブルを使うことになります。何か記念になるお土産を、と思いつつ探すのですが、どの店でも圧倒的に酒類が幅をきかせて陳列され、あとはお菓子や果物、缶詰、ソーセージの類です。衣料品や生活用品には、メイドインチャイナの札がついており、この島も、国後島と同じく農業や製造業が育っていないようです。
ところで、今回ご一緒させて頂いた元島民の三上さんは、当時のことを後世に伝える語り部としても活躍されています。三上さんの伯父さんは、かつて紗那の郵便局の局長だったそうです。郵便局と言えば、島民にとって生活の基盤であり、3600人が暮らす交流の鼎であり、みんなの心の支えだったそうです。また、太平洋戦争を進める軍事拠点としても、択捉島、その郵便局は重要視されていました。
その郵便局が、今は、見る影もなく無残に朽ち果てていました。「何とか修復できないものだろうか・・・。」悔しげに、寂しげに、つぶやく三上さん。「小さな子どもを見かければ、当時の自分を思い出し、山のかたちや川の流れに、故郷の面影を重ねるんだよね・・・」と話されました。