3月26日(金)
国会と地元活動の合間に、福島第一原子力発電所へ。原発ゼロ社会を目指す議員有志と共に行ってきました。3年ぶりの視察です。原発推進派も、反対派も、過酷事故を起こした現場が今どうなっているのか、自分の目で確かめることが大切だと思います。映像からでは分からないリアルがそこにはありました。東電けしからん!と声高に叫ぶことだけでは解決しない課題がたくさん見えてきました。
楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、車中から見えてくる風景は3年前とあまり変わらない。たしかに立派な道路や橋、駅、団地はできたけれど、あの時と同じように人々の営みが見えない。すれ違う車はトラックなど工事関係車両ばかり。家々は大きく傾き、割れたままの窓ガラス、草ぼうぼうの田んぼ。数日で戻れるだろうと思って避難したのが、10年経てもまだ帰れない。我が家を失い、10年経っても「避難者」と呼ばれ続ける苦しみ。
東電からは、廃炉作業の96%が防護服なしで普通の作業服で行えるようになったと報告がありました。現に、私たちも3年前は厳重な装備を義務づけられたが、今回はコロナ対策のマスクのみで現場に入ることが可能に。事故発生から10年間、来る日も来る日も、放射能汚染に怯えながら命懸けの作業を続けてこられた現場の作業員にはただただ感謝しかありません。
そして、廃炉までこれから30年あるいは40年、燃料デブリの取り出しという、世界のどの国も経験したことがない過酷な作業が待っています。全面的な責任を負う事業者も、そこで働く作業員も、故郷に帰れない人々も、結局は誰も幸せにしない原発の過酷事故。安全で安価なエネルギーだとどうして言えるのでしょうか。国策で推進してきた原発だからこそ、国策としてこの先のエネルギー政策をどうしていくのか、子どもたちの未来のために、考えていかなければならない。